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昭和初期頃は、経済恐慌に見舞われ、農山村の多くの住民は病気になっても充分な医療が受けられない深刻な情況であった。

この様な情況を打開するために、当時県内各地に台頭し始めていた住民自らの手で施設を造り、経営を合理化して医療費を軽減し、安易に利用できる様にするための組合組織による病院設立を半田善四郎氏等碓氷郡下の有力者による奔走で、昭和10年7月18日付で医療利用組合としての設立許可を受けるに至った。

翌11年3月3日に病院開設するまでの間、半田善四郎氏は病院建設用地として私有地を無償で提供するなど開設促進に大きく寄与した。又初代の院長である松本一郎氏は慶大医学部の先輩である武見太郎氏の紹介で赴任し、薬剤師、看護婦等ベテランの医療スタッフを慶大、済生会病院から集め病院としての形態を整えたのである。

その後、昭和16年に群馬県医療利用組合統制強化方策により保証責任群馬県購買販売利用組合聯合会に統合、碓氷厚生病院に名称を変更(推定)す。

昭和19年1月群馬県農業会に移管となり、昭和23年8月には県農業会の解散により群馬県生産農業協同組合連合会へ委譲される。

県生産農業協同組合連合会が、昭和25年2月に群馬県指導農業協同組合連合会と名称が変更される。

昭和26年2月には、碓氷郡国民健康保険団体連合会設立により病院の運営主体が地元に移り、昭和29年に市町村合併法による合併推進で「松井田ならびに安中外7ヶ町村国保団体連合会」に、翌昭和30年には、安中外7ヶ町村の合併により「安中松井田国保団体連合会」に名称変更となる。
 昭和36年4月に地方自治法第284条に基づき「安中松井田医療事務組合」の設立により施設一切が継承される。
そして、平成18年3月に構成団体の合併に基づき「新安中市」に施設一切が継承される。
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